この手法は文芸的プログラミングに強い示唆を受けたものである。具体的な実装はかなり異なるが「ソースとドキュメントを同一の場所に記述しておく」という発想は驚嘆に値する。その上、実用的なのだ。
よって、この手法をとりあえずは「文芸的タスク管理」と呼んでおくことにしよう。
文芸的タスク管理とは
私の言葉で解釈してみよう。
タスクとそのタスクに関するコンテキストをノートなどに書いておき、あとで何とかして必要なビュー(見せ方・見え方)をつくって管理を行う手法あるいは考え方を指す。
タスク管理も、プログラミングも、あるいは執筆などもそうであろうが、一般的に「本番用の記述」と「コンテキストを書いたもの(メモとかコメントとかノートなど)」は分ける。前者に後者は混ぜないのだ。しかし、これの弊害は、前者を見たときに、そのコンテキストがよくわからない(あるいは書いた時は覚えていてもそのうち忘れる)ことだ。もちろん後者を発見できればわかるが、発見できるとは限らないし、そもそも後者を書いているとは限らない。加えて言えば、継続的にメンテナンスされている保証もない。前者と後者を両方とも維持する、という営為は人間が苦手とするものである。
この課題に対抗するのが「文芸的」なアプローチであり、これは前者と後者を、後者の手段で、一緒に書いてしまおうというものだ。もちろん、それだと後者という雑な世界に前者のデータも混ざっているため、成果物としては汚いであろう。そこはプログラムの力を借りて上手いことやるのだ。たとえば抽出すれば良い。元記事の著者倉下の例で言えば、1タスク1フォルダとなっていて、そこに色んなファイルが投下されているわけだが、タスクはtodo.mdに記述されている。タスクを抽出したければ、各フォルダのtodo.mdを取り出せば良い。これは、todo.mdにタスクを書くというルールでの運用と、todo.mdに記述された内容を全部拾ってきて表示するというプログラム、の2つがあれば実現できる。なければつくればよい(し、倉下も自らつくっている)。
このポッドキャストでは「レビューよりもレター」という表現が出てくる。
曰く、GTDのレビューなど振り返りは退屈で辛いが、なんで辛いかというとタスク管理が無機質だからだ(と私は解釈した)。タスク管理における振り返りは、データと情報を振り返ることに等しい。要は「作業」である。私は平気だが、嫌な人は嫌だろう。
じゃあどうすればいいかというと、レターはどうかというのだ。タスクを言葉で、文章で、書いておくのである。それこそ未来の自分に手紙を宛てるくらいのつもりで、だ。そうすれば文章であるから、まだ味気があろう。結果、振り返りもあまり退屈せずに済み、続くのではないか、というわけだ。
---