コンテンツには「タイトル」と「内容」があるという指向ないしは思想のこと
どういう歴史の影響かは知らないが、現代人はこれに毒されている。
「タイトル」に題名も内容も全部書けばいいのに、題名は題名らしくキャッチーや体言止めや仰々しい物言いで書いて、詳しい内容を「内容」の方に書く、みたいな分け方をしてしまう。あるいは題名にフレーズや文章を置くという発想も中々できない。
もちろん、題名指向が望ましいケースも多々あるが、問題は、題名指向者が題名指向以外のフォーマットを、割とカジュアルな場でも認めないことである。たとえば仕事で、題名指向に抗う使い方をした場合、高確率でツッコミを入れられよう。「別に題名指向じゃなくてもいいじゃないっすか」的な説明をしたところで、通じることは少ない。毒されている者には、なかなか通じないものだ。
タスク管理にはおいては、この題名指向から抗うのが大事だと私は思う。
というのも、タスク各々をいちいち題名指向で扱うのは面倒だからだ。仮に100個のタスクを扱うとして、その全てについていちいちタイトルと内容を考えるのか?メンテするのか?それよりも、タイトル欄に内容まで含めて全部書いてしまうのが楽ではないか?そもそも題名指向でないツールを使えばいいのではないか?……と、要するに「題名指向にとらわれない、ライトな、あるいはカジュアルな管理」というものがあるわけだが、題名指向だとそこにリーチできないのである。
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