保存と読解(処理や判断と言っても良い)は同時に行いがちだ。
どころか両者が別々に存在する(可分にできる)ことに気付いていない者も多い。
しかし、それではその「保存&読解」作業にかなりのリソースを割かれてしまう。特に昨今ではメールやチャットが台頭して久しいが、これらの保存(受信)を何度も伴うシチュエーションでは、来たものから反応してしまうという虫や獣のような過ごし方になってしまう(忙しくて立場がある人だとこれになることが多いが)。そうなると本来の生活や仕事などろくにこなせまい。実際、日常生活ではSNS疲れやLINE疲れといった言葉まである。
この2つを分離してやると、ずいぶんと楽をできる。
つまり、保存だけ行うことと、保存したものを読むこととを分けるのである。たとえばメールやチャットで言えば、保存は元から自動だが、つられないように通知をオフして、かつチェックは毎日朝昼晩の3回だけ見るようにする。これは読解を日に3回だけ行う(そこで集中して行う)ことに等しい。片っ端から反応するスタイルよりもだいぶ楽だし、融通が利く。
こう言うと「いや1日3回で済むわけねえだろ」という勢力が現れるが、気にしてはいけない。無論、本当にそれほど忙しい人もいるだろうが、たいていは自分のやり方を変えたくない怠け者か、あるいは変えることによるプライドの傷付きを防ぎたいだけの無能でしかない。怠け者や無能の無責任な反発に迎合する必要などない。もちろん、怠け者や無能が悪いわけではない。別にそんなことしなくても問題ない人も少なくないし、資質的に難しい人もいよう。
余談だが、私はこのような「一見すると1つにしか見えないものを、2つに分離して、それらを個別に扱う」営為をミクスチャセパレーティングと呼んでいる。ミックスされたものを、セパレートするというわけだ。
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